それはたった一本フェイスブックメッセージから始まった。
1947年、戦後混乱期の横須賀に外国人の父と日本人の母の間に生まれた、木川洋子。過酷な環境、当時の社会状況の中で、最愛の母と離れて5歳の時に養子縁組でアメリカへと渡る。それから66年。日本に帰ることも、母の音信を聞くこともなかった。同じ名字を持つ木川剛志に送ったメッセージ。洋子の記憶の中の思い出に向かう旅が始まった。

解説

 映像作家にして和歌山大学教授の木川剛志のSNS に寄せられた『木川洋子を知っていますか。』というメッセージ。この不思議なメッセージをきっかけに、剛志は歴史の波に翻弄された一人の女性の66 年にも及ぶ悲痛な思いを知ることになる。彼女の日本名は木川洋子。その母木川信子を探していると。その祈りのような願いの一端を道標に、剛志は北米に飛んだ。神奈川県横須賀市にある洋子のゆかりの場所から縁者を探し、そして母、信子が終焉を迎えた地、東京八王子までの足跡をたどる長い旅が始まった—

 気鋭の映像作家木川剛志の元に寄せられたSNS のメッセージを頼りに戦後の歴史の波に翻弄された混血孤児の数奇な運命を静かな映像で紡ぎ出す圧巻のドキュメンタリー作品。2022年5月CX-TV「奇跡体験アンビリバボー」でも取り上げられ大変な反響を呼んだ。

物語

 2018 年木川剛志に届いたアメリカに住むシャーナという女性からのメッセージ。木川とオンライン上でのやりとりが始まった。シャーナの母バーバラは日本名を木川洋子と言い1947 年に横須賀市で外国人と思われる父と日本人の母の間に生まれた。

 このような子どもたちは混血児と呼ばれ、敗戦国の日本人には敵国の血が流れる混血児として差別の目で見られ、家族でそのような子どもを妊娠した娘を勘当同然で家を追い出すようなそんな時代だった。洋子も過酷な環境で育ち1953年米兵に養子縁組されわずか5歳で渡米した。それから66 年日本に帰る事も母と会う事もなかった。木川信子はシャーナの祖母の名前である。木川という名前で有れば何か知っているのではとかすかな希望に、彼女はSNS で木川を検索し、見知らぬ木川剛志にメッセージを送ってきた。木川剛志には横須賀に親族はなく木川信子という名前を当然知らない。和歌山大学に勤める研究者だった私は福井市、和歌山市の空襲を研究し戦災孤児を調べていた。そして私自身は5歳の子供の父親だった。洋子が養子縁組をしてアメリカに渡った年齢と一緒である。

 何かの縁を感じた。研究者としてできるだけのことがしたかった。こうして私は木川洋子を産んでその後、行方の分からない木川信子の生きた証しを探し出すべく、その足跡をたどり始めた…

監督木川剛志より

 このドキュメンタリーの取材を始めた頃、自分の母親に、「横須賀で生まれた混血児の方の実の母親探しをしている」と、言いました。「そんな大変なことがあったのね」と、驚かれることを期待して…。ところが母は「昔はそうだったからね」とぽつり…。母が生きた時代には、私の想像も及ばない過酷な時代があったのでしょう。

 この映画の物語も、多くの人にとっては想像すら及ばない過去の出来事の1ページです。地元の方が語り継ぎたくないと、できれば忘れ去りたいと思っている歴史の事実の一部です。戦争は、男たちが戦場で行うものだけではありません。戦争が生み出す人の心を巣食う憎悪は、弱者に対する差別となり、困難な時代を生きた人々は、語ることも憚られる悲しみを背負いながら生きたのでしょう。

 そして、世界では、今も戦争が行われています。この映画は、私が創作したものではありません。ただ、ただそこにあった偶然と必然に引き寄せられ、向き合い、あがき、そして揺さぶられた魂の記録をまとめたものです。洋子さんの母を探す旅を一緒に見ていただくことで、現実にあった悲劇と、それと共にある『人間の強さと美しさ』をそれぞれに感じてもらえればと思います。


映画「Yokosuka 1953」
      
監督:木川剛志
出演:バーバラ・マウントキャッスル 木川洋子
ナレーション:津田寛治
        
撮影:木川剛志 上原三由樹 関戸麻友
編集:筏万州彦 木川剛志
グラフィック:松原かおり
              
題字:木川泰輔
      
主題歌:「おやすみ」キャラバンキョウコ
      
プロデューサー:上原三由樹 木川剛志
      
制作年:2021年         
制作地:日本           
尺:107分