それはたった一本のフェイスブックメッセージから始まった。
1947年、戦後混乱期の横須賀に外国人の父と日本人の母の間に生まれた、木川洋子。過酷な環境、当時の社会状況の中で、最愛の母と離れて5歳の時に養子縁組でアメリカへと渡る。それから66年。日本に帰ることも、母の音信を聞くこともなかった。同じ名字を持つ木川剛志に送ったメッセージ。洋子の記憶の中の思い出に向かう旅が始まった。
2018年の夏、アメリカに住むシャーナという女性から1通のFacebookメッセージが木川剛志のもとに届いた。彼女の母、バーバラは日本で生まれ、5歳の時に養子縁組でアメリカにやってきたという。彼女は外国人と見られる父と日本人の母の間に生まれた“混血児”だった。そして、バーバラの日本名が木川洋子だった。同じ木川という名字をFacebookで検索し、親族ではないか、と木川にコンタクトをとってきたのだった。もちろん、木川剛志は親族ではない。しかし、戦後混乱期に研究者として興味を持っていた、木川剛志はバーバラの実母を探すこととなった。
バーバラが大切に持っていた新聞記事。その新聞記事の中には「横須賀には二百人以上の無籍の混血児がおり、ほとんどが母親と一緒に夜の女のハウスに育てられている」と書かれていた。戦後間もない頃、多くの女性が困難の中で生きていた。また、その当時、多くの混血児も生まれ、そのような子供たちはかつての敵国の子ということもあり、過酷な差別の中で生きていた。
横須賀の町を調査し、多くの人々の協力を得て、バーバラは66年ぶりに日本に帰ってくることとなった。その費用はクラウドファンディングによって賄われた。木川はそのクラウドファンディングの報告資料のために、カメラを回した。想像を超える当時の状況。そして、さまざまな真実が明らかになる。この調査記録をドキュメンタリー映画としてまとめた。
映画は2020年3月に中編部門としてハワイ大学で試写会。その後、2021年4月に津田寛治をナレーションに起用し完成。東京ドキュメンタリー映画祭2021において長編部門グランプリを得るなど評価される。現在、全国公開に向けて準備中。
コメント

「Yokosuka1953」は「運命」で出会ったとしか思えない。きっと数あるドキュメンタリーフィルムはドキュメンタリーの種があってそれを上手く咲かせる人と出会いドキュメンタリーに昇華していくんだと思う。しかし木川教授が出会った同姓の「木川洋子」さんとの出会いは強烈な運命の糸で繋がっていて、木川教授が監督として洋子さんの人生と向き合い、当時の戦後日本の背景を多くの観客に伝え共に考える機会を作ることが出来る人物だからこそ出会った。その運命的な出会いそのものがドキュメンタリーとなった作品だと思います。今この「Yokosuka1953」に立ち会えてた現実にものすごく感動しています。
