GIベビー、ベルさんにアメリカで見つかった肉親に会わせたい

1945年のポツダム宣言から、占領軍が日本に上陸。そして1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本が独立するまでは、日本は連合軍の統治下にありました。今とは違う時代、その間に望みながら、または望まなくとも占領軍兵士との間に子供をもうけた女性が多くいました。もちろん、幸せな結婚もありました。そして、アメリカに帰国する夫についていき、アメリカで幸せに生活をされた女性もいました。ワーブライドと呼ばれた方々です。

その時に、米兵との間に生まれた子供たちはGIベビーと呼ばれました。

しかし、朝鮮戦争が起こっていた激動の時代、多くの兵士が戦死し、父親を失った子供たち、または本国に帰る時に置いていかれた女性たち、そして子供たち。Yokosuka1953で描いた、木川洋子さんの人生は、このようなGIベビーの方の一つの人生です。

今日、紹介したいのは、また別のGIベビー、ベルさんの話です。

昨年、Yokosuka1953の公開を控えていた頃、ネットで何気なく、岡部えつさんのNoteを見つけました。

岡部えつさんのNote

ベルさんもGIベビーとして生まれて、横浜にあった聖母愛児園に預けられ、その後、北海道の天使の園で育たれました。

木川洋子さんは、アメリカに渡ったGIベビー。そして、ベルさんは日本で育ったGIベビー。そして二人とも生みの母とは離れて生活をされていたことは共通。

ついつい岡部さんに連絡を取ってしまい、そしてYokosuka1953が新宿で公開された時に、ベルさんと岡部さんも見に来てくださいました。

しばらく時がたち、熊谷でのYokosuka1953の上映が決まった時、ベルさんの実母がかつて熊谷でも生活されていたので、岡部さんにも上映の際に舞台挨拶をお願いして、熊谷の街を一緒に歩きました。洋子さんの時もそうなのですが、このような旅では奇跡的な出会いがあるものです。熊谷も例外ではなかったのです。

熊谷にあった、古い集合住宅。このような住宅に子供たちの笑い声が響いていた頃はどのような感じだったのだろうか。

そして、ベルさんの実母も、岡部さんの努力によって見つかりました。母はアメリカの地でまた家族をもたれていました。残念ながら、母は亡くなっていましたが、家族が見つかり、このたび、ベルさんは岡部さんと一緒に、アメリカに行き、家族に会うそうです。この一連の物語は、岡部えつさんが本にするということで、現在、クラウドファンディングに挑戦されています。

すでに目標金額は達成されているのですが、ネクストゴールを目指されています。私としても、このようなGIベビーの方々の存在、そしてそこにある戦争がもたらした悲しみを、多くの人に知って欲しいと思い、応援しております。

ぜひに、岡部さんのプロジェクトを見ていただき、よろしければ支援もおねがいしたいです。
7月10日まで、です。よろしくお願いします。

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