2022年11月5日から東京のK’sシネマから始まった「Yokosuka1953」の劇場公開。数多くの舞台挨拶を重ねて、見ていただいた方からは直接、様々な感想をいただきました。また、各レビューサイトでも書いていただいた方もいて、バーバラさん、日本名、木川洋子さんの物語が多くの方に届いたことを感じました。
映画.comに寄せられた感想
Filmmarksに寄せられた感想
しかし、その一方で自主制作、自主興行の限界もあり、劇場公開は十分な成功とはいえない形で休止しております。私はプロジェクトを進めるなかで、映画化を考えました。それは洋子さんの物語を通じて、この世界が変わる可能性を感じたからです。他人の人生を思いやり、そこにある世界の悲しみを少しでも減らしていこうという、そういう世界にこの世の中がなってほしい。その思いは時に空回りなのですが、しかしそれに対しては私の映画の影響力は小さすぎました。この物語を広げる責任が私にはあります。
そして、今、この物語について、文章を書き始めました。本にしてもう一度、世に問いたいと思います。
日本の80年前の話。戦争が終わり、平和がやってくる。それがそのまま実現していたら、戦争の対義語が平和であれば、世の中はもっと単純なことだっただろう。その日、戦争は確かに終わった。しかし、すべての人に平和が訪れたわけではなかった。戦争が終わっても、いや、戦争が終わったからこそ、過酷な日々が始まった人々もいた。戦中に疎開し、その間に家族を空襲で失った子供たち。戦争中に父親を戦場で亡くし、神の子として呼ばれても、敗戦とともに冷たく扱われた子供たち。戦争とともにやってきた米兵たちの甘い言葉に誘われ、将来を誓っても捨てられた女性たち、子供たち。彼らの生活は、戦争が終わった後の平和の時代を象徴するものではなかった。
私自身も知らなかった。昭和51年に生まれた私にとっては、その時代は当然、知らない時代。しかし、空襲による都市の破壊とその後の復興への影響を研究者として調査してた私でも、知らなかった。知識として、言葉としては知っていた。一人の女性、バーバラ・マウントキャッスル、日本名、木川洋子。彼女の人生の固く閉ざされた扉の一つが開く瞬間に立ち会うことで見えたこと、やっとわかったことがあった。
それは敗戦から80年が経とうとして、経済の成長とともに忘れようとした戦後のあの頃のことだった。
『(仮)横須賀一九五三 冒頭の文章より』
映画になるずっと前にの話。バーバラさんの実母を探していることを、自分の母に言いました。その時はすごいことをやってるね、と母に褒められるつもりで言ったのでしょう。ところが母が言った言葉は一言。「昔はそうだったからね」。満州で生まれ、引き揚げ、京都駅前に住んだ母はわかっていた戦後のあの頃のことがあったのでしょう。それは小さかった私に寝る前に戦争のことを語ってくれた今は亡き祖母も同じように心に残し、そして語らずに消えていった何か、なのでしょう。
私は祖母と母を知っているつもりでしたが、わかってなかったのです。
このような物語。映画 Yokosuka1953 で描ききれなかったこと、映画をきっかけに始まった”他の”混血児で生まれ、養子縁組渡米した方の母親探し。そのようなことをまとめた本を出します。
力のない私です。この書籍を、この物語を広げるために、クラウドファンディングに挑戦することにしました。
金銭的な支援を伴うお願いは、正直、心苦しいです。でも、このプロジェクトを進めて、世に問うこと、これをなんとかしなければならないのです。どうか、よろしくお願いします。
以下に、2024年10月23日17:00から始まる、クラウドファンディングサイトの内容を載せます。
よろしくお願いします。
木川剛志
Motion Gallery
終戦から80年、2025年。
戦後混乱期 横須賀の映画「Yokosuka1953」の本を出版したい。
2022年に劇場公開した映画「Yokosuka1953」。この映画で調査して知った当時の人々の言葉、この映画をきっかけに知った戦後混乱期の女性と子供たちの物語。それを文章に紡ぎ、出版するプロジェクト。
Yokosuka1953
はじめまして。私は普段、和歌山大学観光学部で教員をしております、ドキュメンタリー映画『Yokosuka1953』の監督、木川剛志です。『Yokosuka1953』は2022年より劇場公開を開始しました。この映画の背景にある、戦後の混乱期における女性や子供たちの物語を、本としてまとめたい。そのためにはみなさまの支援が必要です。どうぞ、よろしくお願いします。
バーバラ・マウントキャッスルさん(左)と木川剛志(右)
映画『Yokosuka1953』は、2018年の夏、私のFacebookにアメリカからメッセージが届いたことから始まります。アメリカ合衆国テキサス州に住むバーバラ・マウントキャッスルさんは、1947年に神奈川県横須賀市で生まれました。父親はおそらくアメリカ人、母親は日本人でした。バーバラさんは母親の愛情をしっかりと受けて育ちましたが、当時はまだ混血児に対する社会の視線は厳しい時代。それも一つの理由でしょう、バーバラさんは5歳の時、児童福祉施設に保護され、1953年に養子縁組によって渡米することになりました。実母は何度も施設に会いに来てくれましたが、彼女がバーバラさんに伝えた「必ず迎えに来るから」という約束は果たされることはありませんでした。
それから65年後、バーバラさんはアメリカで子供や孫に囲まれて生活していましたが、実母を探すことを決意します。そこで、Facebookを通じて木川信子さんの親族を探そうとしたのです。木川剛志に届いたメッセージは「木川信子を知っていますか?」というもの。バーバラさんの日本名は木川洋子。「信子」は彼女の実母の名前です。そして、私はただ「木川」という同じ名字を持っていたことから、バーバラさんからメッセージを受け取ることになったのです。
もちろん、私は同じ「木川」という名字を持ってはいますが、横須賀の木川家とは無関係です。木川信子さんを知りません。しかし、研究者として空襲や戦後の都市計画を研究していたこともあり、また、当時は彼女が養子縁組された歳と同じ、5歳の息子がいたこともあり、何か手助けできないだろうかと思い、横須賀へ向かい木川信子さんの消息を探すことにしました。こうして映画となったのが『Yokosuka1953』です。
洋子さんの実母探しのプロジェクトは多くの取材を受け、「テレメンタリー」や「奇跡体験!アンビリバボー」などのテレビ番組で特集されることもありました。その影響で、木川洋子さんと同じような境遇を持つ方々から、実母の消息を調べてほしいと依頼されることもありました。そして、実際に木川家以外の親族探しも行いました。
研究者として、戦後について知っているつもりでした。しかし、一人ひとりの人生を追っていくうちに、私が知らないことばかりだということに気づかされました。自分の浅学さを恥ずかしく思うと同時に、これらの調査は私にとって、戦後の混乱期という時代を改めて見つめ直す機会となったのです。
木川洋子さんの養子縁組を伝える当時の新聞
映画から、本の出版へ
映画『Yokosuka1953』は、2022年11月5日、東京から劇場公開が始まりました。当時、コロナ禍はやや落ち着いていたものの、依然として影響が続いている時期でした。また、この映画を大学や教育機関では無料上映できるようにするなど、細かな興行を可能とするために、配給も自ら手がけました。試行錯誤しながら尽力しましたが、事前に期待したほどには多くの人にご覧いただけたわけではありません。さらに、映画の興行には宣伝費や劇場での舞台挨拶の費用など、多額の資金が必要で、もちろん自己負担で進めましたが、これ以上の公開は厳しいという経済的な限界に達しました。正直悔しいです。
横須賀の市民団体に主催していただいた上映会の舞台挨拶。1000名あまりの方が映画を鑑賞。
戦後混乱期を生きた人々の人生を見ました。聞きました。そして、木川洋子さんだけでなく、他にも戦後の混乱期を生きた他の女性たちの半生も追いかけました。戦争がもたらす、目に見えない、当事者だけが抱え、墓場まで持っていった悲しみ。それらを知った以上、私にはその悲しみを伝える役目が託されたのでしょう。
2025年、戦後80年を迎えます。戦争を直接知る人々はもちろん、戦争を体験した人から当時の空気を伝え聞いた人々も、少しずつこの世を去りつつあります。しかし、まだ間に合う、だからこそ、このタイミングで私が見たこと、聞いたこと、そして研究者としての知見を加え、一冊の本として世に出す決意をしました。
本に仕上げるためには、まだまだ追加の調査が必要です。当時の状況を知る児童福祉施設での資料調査や図書館での文献調査、さらなるインタビューを行います。また、この本の最終章は、コロナ禍によって実現していないバーバラさんとの再会を描き、彼女から今の心境を聞くことで締めたいと考えています。日本に生まれ、アメリカで大変な日々を過ごした洋子さん。彼女が日本を訪れて母の消息を知り、そして、今、彼女はこの世界をどのように見つめているのだろうか。それを聞きたい。
この本が完成すれば、『Yokosuka1953』を再び、2025年8月に全国で公開したいと考えています。まだ上映の機会がなかった地域が多くあります。映画館だけでなく、公民館などでも上映を行い、80年前の戦争を振り返り、戦争によって語り得ぬ過酷な人生を生きた人々のことを考える時間を作りたいと思っています。このような痛みを知る人々の声を届けることが、戦争を知らない時代にこそ必要だと感じています。
戦後混乱期に困難な日々を生きた女性の記録の一部
支援をお願いしたいこと
出版に向けて特に支援をお願いしたいのは、アメリカでバーバラさんに会いに行くための費用です。2019年に彼女が来日して以来、直接お会いする機会はありませんが、彼女は映画を応援し続けてくれています。再び日本にお呼びしようと試みましたが、健康問題のため実現には至りませんでした。この本を完成させるために、彼女に会いにアメリカに飛びたいと考えています。
また、この出版を実現するとともに、この物語をより多くの人に届けたいと考えています。2025年8月に、劇場や公民館での上映を行うための費用についても、ご支援をお願いしたいのです。
目標金額は100万円です。以下の用途に対する支援をお願いしたいと考えています。
- 渡米滞在費用(400,000円)
- 追加調査費用(200,000円)
- 映画再公開宣伝費用(250,000円)
- リターン用DVD・Blu-ray制作費用(50,000円)
- MotionGalleryの手数料、その他雑費(100,000円)
本と映画を通じて、2025年8月、戦後80年の節目に改めてあの戦争について心に留める機会を多くの方と共有したいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
映画「Yokosuka1953」のメインイメージ
お返ししたいこと
2019年から、今回の出来事を本にしようと考えてきました。しかし、書こうとするたびに様々な思い出が蘇り、なかなか筆が進まない日々が続いていました。このままではいけない。今回の執筆のタイミングが自分にとって最後のチャンスだと考えています。この状況を支援者の皆さまに報告し、できれば応援の言葉をいただき、それを励みに頑張りたいと思っています。
具体的なリターンについては、以下の内容を支援プランに応じて提供いたします。
・執筆状況の支援者限定定期報告(6回程度)
定期的に執筆の進捗や、執筆における悩みや課題を共有します。
こちらはMotionGelleryのコレクター限定アップデート記事にて配信します。
・アメリカでバーバラさんに再会した模様の特別映像の閲覧(1本)
(視聴期限2025年10月まで)
渡米時にバーバラさんと再会したときの支援者限定映像を送ります。
・サイン入り『Yokosuka1953』パンフレット
(1冊)
2022年の劇場公開時に販売したパンフレットに、監督のサインを入れてプレゼントします。
・『Yokosuka1953』特製DVD
(1枚)
『Yokosuka1953』本編を収録した特製DVDをプレゼントします。
このDVDは盤の表面には手書きでタイトルを入れたホワイト盤になります。
・『Yokosuka1953』特製Blu-ray
(1枚)
『Yokosuka1953』本編を収録した特製Blu-rayをプレゼントします。
このBlu-rayは盤の表面には手書きでタイトルを入れたホワイト盤になります。
・出版予定の本の提供(1冊)
本が出版された場合、プレゼントいたします。
商業出版が実現しない場合でも、自家版をお渡しします。
・「Yokosuka1953」の上映会を行います(1回)
Yokosuka1953の上映会を有償無償を問わず開催していただけます。
上映会場、上映機材は支援者の方で用意してください。
監督の舞台挨拶も予定を調整していただければ行います。
3万円以上の交通費がかかる場合は、一部ご負担をお願いすることがあります。
・家族のルーツ探し映像制作
(1本)
『Yokosuka1953』のように、支援者の家族のルーツを調査し、映像として制作します。
調査結果や映像は、支援者と相談のうえでプライバシーに配慮して
映画もしくは論文にすることもあります。
このリターンでは2回までの国内調査旅費を含んでいます。
それ以上の出張調査が必要な場合は追加で費用負担をお願いすることがあります。
想定されるリスクとチャレンジ
今回はプロダクションファンディング(All in)での挑戦になるため、もし目標金額未達となった場合でも、不足する資金は自費で補填し、本の出版および映画の再上映を実現します。リターンも必ずお届けしますので、ご安心ください。
現在、出版企画書を作成し、すでに出版社に企画を送っていますが、まだ出版の確約はいただいておりません。たとえ商業出版が実現しなくても、このプロジェクトをまとめ、自費出版でも完成させます。また、映画上映が商業映画館で難しい場合も想定していますが、それ以外にも全国の公民館で自主上映を行うなどして、来年の夏に多くの方々にご覧いただけるように努力いたします。
私はバーバラさんに会いに行き、本を完成させます。しかし、商業出版が実現すれば、より多くの人々にこの物語を届けることができます。その実現に向け、全身全霊を込めて頑張りますので、ご協力をお願いします。
プロジェクトの現段階でのスケジュールは以下のように考えています。
2025年春頃 渡米
2025年8月 本の出版、映画の再上映
映画「Yokosuka1953」の一画面
託された言葉
戦後の混乱期を生きた女性たちの苦しみや、当時の社会情勢の中、混血で生まれた子供たちの悲しみを知りました。これを知った以上、なんとしてもその思いを今に伝えることが自分の使命だと感じています。2年前に公開した映画では、自分の力不足で十分にその役割を果たすことができず、世の中に広く届けるという目標が達成できませんでした。だからこそ、今回こそ、この仕事を何とか成し遂げたいと思っています。皆さまのご協力が必要です。
どうぞよろしくお願いいたします。
木川剛志 / 和歌山大学観光学部教授
映画「Yokosuka1953」公式サイト
和歌山大学観光学部木川研究室サイト
1976年、京都市上京区上七軒界隈に生まれる。祖父は第一映画、新興京都や大映に属した美術制作の職人、木川義人。主な参画作品として溝口健二監督「浪華悲歌」(1935)や黒澤明「羅生門」(1950)、渡辺邦男「忠臣蔵」(1958)などがある。祖父の現場に通って木工に興味をもった父親が建築家業を始めたことから、建築に興味を持ちながら育つ。親の引っ越しに伴い、京都市立翔鸞小学校から大津市立富士見小学校に転校し、主に大津市で育つ。1992年洛南高等学校Ⅲ類入学。
1995年京都工芸繊維大学造形工学科入学研究室は西村征一郎研究室に配属される在学時よりアジアの建築、特にジェフリー・バワに興味を持ち、1995年3月に卒業後は4月からスリランカの設計事務所、Gruhasta、Suchith Mohotti Private AssociateなどにJunior Architectとして勤務する日本に帰国後は中国の大連アメリカのマイアミの設計事務所Beame Architectural Partnershipなどでインターンシップを重ね2001年よりユニバーシティカレッジロンドンの建築学部Architectural Advanced Courseの修士課程に入学しBill HillerJulienne HansonAlan Pennなどからスペース・シンタックスを学ぶ帰国後、京都工芸繊維大学機能科学専攻博士後期課程に進み、2006年博士(工学)。
2006年より、福井工業大学経営情報学科講師となり、2010年よりデザイン学科メディアデザインコース准教授福井市が主体となって福井駅前の地域活性化を目的としたアートイベント、フクイ夢アートの企画委員となり、多くの企画を実行する2012年に福井市出身の俳優、津田寛治を監督として起用した映画「カタラズのまちで」のプロデューサーをつとめるこれをきっかけとして、自身も監督としての短編映画製作を始めるまた、2014年1月から福井駅前に落語専門の寄席小屋、福井駅前寄席きたまえ亭を鳴尾健らと設立年末の休館まで事務局長として運営する。
2015年4月から和歌山大学観光学部准教授。学生たちと短編映画を製作し、2017年に製作した「替わり目」が第9回商店街映画祭でグランプリと串田和美監督賞を取る。津田寛治を審査員長とした福井駅前短編映画祭を立ち上げ、実行委員会代表をつとめる。また、観光学の研究者として、観光映像の研究を進め、2018年3月に日本初となる観光映像に特化した日本国際観光映像祭(英名:Japan World’s Tourism Film Festival)を立ち上げている。
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