『横須賀1953』書籍化のお知らせ
── 「混血児」洋子=バーバラの旅
2022年に劇場公開され、多くの反響を呼んだドキュメンタリー映画『Yokosuka1953』が、このたび書籍として刊行されることとなりました。


タイトルは『横須賀1953 「混血児」洋子=バーバラの旅』。
2025年7月5日、えにし書房より全国書店およびオンライン書店で発売されます。
本作は、戦後の混乱期、米兵と日本人女性との間に生まれ、養女としてアメリカへ渡ったひとりの混血女性・洋子(バーバラ)が、自らのルーツと向き合い、実母の足跡をたどる旅を描いたものです。
映画の制作過程で出会った記憶、記録、証言をもとに、映像では語りきれなかった背景や、撮影者自身の葛藤、そして読者への問いかけを加え、1冊の本として編みなおしました。
日本に生きた「語られなかった人びと」の声を、そして次世代へと受け継ぐべき問いを、この本を通じて多くの方に届けたいと願っています。
【書誌情報】
書名:『横須賀1953 「混血児」洋子=バーバラの旅』
著者:木川剛志
出版社:えにし書房
初版日:2025年7月10日
発売日:2025年7月5日
ISBN:978-4-86722-140-2
定価:1,980円(税込)
また、書籍の発売に合わせて、全国の映画館で再上映がされます。以下をご参照ください。

序章 忘れられつつある物語
光の届かぬ場所にこそ、記憶は澱んでいる。
私たちが知る戦争は、記録として手元に届いている。
1941年12月8日の開戦。1945年8月15日の敗戦──多くの命が失われた。それは私にとっても、当たり前の常識だった。しかし、アメリカから届いた1通のメッセージから始まる物語は、私に戦争を「記録」ではなく、「記憶」として刻み込んだ。
「日本に住む親族を探しています。
私の母は日本で生まれ、1953年にアメリカへ養子として送られました。
彼女の昔の名字は『木川』、名前は『洋子』です」
木川洋子──1947年にアメリカ兵と思われる父と日本人の母のあいだに生まれた少女。いわゆる「混血児」であった。父のことは何も知らない。ただ、母に愛された思い出がある。「必ず迎えに行くから」という母の約束を信じ、児童福祉施設で暮らしていた。そして1953年、養子縁組によりアメリカへと渡った。
洋子だけではなかった。混乱期の横須賀には200人を超える戸籍を持たない混血児がいたという。その多くは、夜の女の「ハウス」に母と一緒に暮らしていた。日本社会から冷たい目で見られていた混血児たちは、篤志家の尽力によって養子縁組され、アメリカに渡っていった。
そのことは戦後の横須賀を生きた人々なら誰もが知っていることだった。しかし、その事実は語られることを拒み、時代が流れ、それを知る人々の記憶も失われ、消えようとしている。
私にも戦争の記憶はある。祖父は私が1歳の時に亡くなった。私の誕生を喜び、たいそう可愛がってくれたらしい。祖父の胸には、戦争で負った銃創があった。多くは語らなかった。諜報部にいたこと。戦場には前方ではなく後方から撃たれた兵士が倒れていたこと。そして─朝鮮半島の人々に対してどれだけ謝っても償えないことをしたことを、生前、母に語っていた。それは私自身の記憶ではない。しかし、祖父の語ったことは、歴史ではなく「記憶」として、私は受け止めていたように思う。
ただ、このように受け止めた記憶は、体に染み込んだものとは異なる。洋子と知り合い、横須賀で彼女の母を探す調査をしていたある日、母にそのことを話した。「混血児の実母を探しているんだ」と。母は驚くと思っていた。しかし、返ってきた言葉は一言だけだった。「昔はそうだったからね」と。母は満州で生まれた。母の家族は引き揚げた後、日本各地を転々として京都駅前に落ち着いた。祖父が営む看板屋には、警察官に紹介された「駅前で路頭に迷っていた男たち」が働いていたという。母のその言葉には、母が見てきた世界が、私の想像をはるかに超えていたことが滲んでいた。私は母のことを知っていたつもりだった。しかし、まだ理解できてはいなかったのだ。
光が当たる記憶は記録され、歴史となる。光が届かぬ記憶は、受け継ぐ者を失い、やがて忘れ去られる。
戦後80年──あの戦争が「記録」として整理され、「記憶」が消えていく時代に改めて考える。記憶とは何か。それは思うに「戦争が悪い」「平和を願おう」ということではなく、その背景にある絶対的な現実──人間に与えられた、否応のない現実だ。圧倒的な狂気に人々は邁進し、圧倒的な悲しみをただただ人々は受けとめるしかなかった、その現実だ。それはそれを判断しようとする理性や倫理を超えた、抗いようのない現実。そして、それが残念ながら「人間」だった。
私は和歌山県で大学教員をしている1人の研究者である。研究者として空襲で破壊された街の復興について調べてきたが、この物語で綴られる旅を終えた今、「そこにあった人々の悲しみに本当に向き合ってきたか」と問われれば、今は自信がない。圧倒的な現実から目を逸らし、並べられた記録を分析し、倫理的な答えを探していた。しかし、そのような答えは、人間に対してあまりにも弱い──それを思い知ることになった。
この物語は、私が木川洋子と、名字が同じというだけの偶然──いや、今は奇跡と呼ぼう──の出会いから始まる。そして、その物語は『Yokosuka1953』という劇場公開を果たした映画に結実した。それは、これまでに大学教員として導き出してきた言葉とはまったく異なるものだった。
──これは、横須賀の物語である。
しかし、ここで描かれる「横須賀」は、横須賀海軍カレーを食べ歩き、スカジャンを探して羽織り、軍港を巡る──そんな明るい、観光的な横須賀ではない。
忘れられようとしている、1953年の横須賀である。その時代の記憶はかろうじて、街に、人々に、澱んでいた。その記憶を、私は追い求めた。
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